人事とか野球とか。

現役の人事部員のブログです。人事のこと、野球のことを中心にまとめています。

プレイヤー(選手)か?マネージャー(監督)か?

■「課長?興味ありません」

 昇進したくない若者が増えているという。

 

 ある調査によると、2030代の約6割が出世を望まないらしい。理由は責任が重くなる、現場の仕事が好き、プライベートを優先したい・・・など。 「重役出勤」という言葉も最近は聞かなくなった。むしろ役職の高いビジネスパーソンほど朝が早い。立場が上がると経営層からのプレッシャーも強く、タイヘンなのである。

 

 「ピーターの法則」というものがある。どれだけ優秀な人でも、昇進後の特定のポジションがその人の能力の限界である場合、そのポジションに留まり続ける。この法則では全ての人は特定ポジションが限界で昇進が止まり、組織内には能力のない人で溢れる…のだが、実際は能力の限界に到達していない人たちによって組織は成り立つというものだ。

 

 どれだけ優秀な人でも、ポジションが変われば実力が発揮できない可能性がある。大谷翔平のような例外を除いて・・・。

 

■監督も管理職も辛いよ

 管理職に昇進しても、昇進前と同様に手を動かすケースも多い。「プレイングマネージャー」と揶揄されるが、「代打、オレ」のような決定権も少ない。その上、部下のマネジメントや育成の責任も負い、自分だけ頑張ってもチームで成果が出せないと評価されない。「やってらんねーよ!」と思う気持ちはよく分かる。

 

 プロ野球選手が引退直後に監督に就任する場合も同じような心境なのだろうか?

高橋由伸は代打の切り札として活躍後、2015年から18年にかけて監督に就任。この間巨人は一度も優勝できずに高橋監督は辞任した。

一時代を築いた名捕手、古田敦也2006年に選手兼任監督に就任。一年目こそ3位に食い込んだが、翌年最下位に沈みそのまま監督を辞任。

特に古田のケースでは監督、捕手のどちらか片方だけでも大変なのに、兼任のプレッシャーは相当なものだろう。会社でもいくつもの兼務を持つ人を稀に見かけるが、うまく機能したケースはあまり見ない。

 

 役割が変わっても成果を挙げ続けるのは相当な難易度だ。落合博満のように選手・監督ともに最高クラスの成績を挙げるケースはごく稀だ(GM時代はさておき・・・)。

 逆に、名選手でなくとも指導者として輝く可能性はあるのだ。その代表例がメジャーリーグで監督を務めたスパーキー・アンダーソンだろう。

 

■スパーキーって誰?

 1970年代のシンシナティ・レッズは史上最強のチームとの呼び声が高い。1970年から78年にかけてレッズを率いたスパーキー・アンダーソンは、選手時代は1年のみメジャーでプレーした。通算成績は152試合で打率.2180本塁打34打点、OPS.531。お世辞にも名選手とは呼べない成績で引退後、1964円よりマイナーリーグで監督を務め、1970年にレッズの監督に就任した。

 

 監督就任時のアンダーソンはあまりにも知名度が低かったため、マスコミから「Sparky, Who?(スパーキーって誰?)」と書かれたほどである。ところがアンダーソンは就任1年目で102勝を挙げリーグ優勝。レッズ在籍時の9年間で5度の地区優勝、1975年と76年は2年連続世界一と、最強のチームを作り上げた。

 

 歴代1位の通算4256安打のピート・ローズ、捕手として史上唯一本塁打王を獲得し、生涯389本塁打を放った最強捕手ジョニー・ベンチ7576年に連続MVPに輝いた二塁手ジョー・モーガンなど最強のスター軍団を率い、チームはいつしかビッグレッドマシンと呼ばれ、他球団から恐れられた。今でも歴代最強チームに挙げられる。

 

 アンダーソンは1979年からデトロイト・タイガースの監督を17年間務め、1984年には世界一に輝いた。監督としての生涯勝率は.545。選手としては実績を残せなかったが、監督として殿堂入りを果たした。まさに「名選手は必ずしも名監督にあらず」なのである。

 

■これからの昇進論

 会社でもスタッフとしては優秀だったのに、管理職に昇進したとたんに輝きを失うケースはよく見られる。ジョブマネジメント(自分の仕事の管理)とピープルマネジメント(ヒトの管理)は求められる役割が異なるのだ。

 異なる役割にスムーズに移行する上で、昇進前に「慣らし」としてピープルマネジメントの疑似体験を積ませ、力量を見極めた上で上位役職にチャレンジさせるのはどうだろうか。ヒトの管理が苦手なら、部下なしの優秀スタッフとして処遇するのも手だろう。

 アンダーソンも選手引退後にまずはマイナーリーグの監督からスタートし、マネジメント経験を積んでメジャー監督として輝いたのである。

 

 ちなみにアンダーソンは1996年オフに阪神タイガースの監督オファーを受け、契約寸前まで話が進んだが、夫人の猛反対によりお蔵入りとなった。もしもアンダーソンが当時低迷中の阪神を立て直したなら日米のタイガースファンの間で伝説となったに違いない。